自己紹介

自己紹介

初めまして。ナガヌマミチヤと申します。過去に私はIT業界に10年身を置き、一心不乱に働いていました。重責を担い、そのプレッシャーとも闘いながら、数々のプロジェクトマネジメントやコンサルティングをこなしてきて、今、思えば「心身をすり減らすような働き方」をしていました。

その働き方を続け9年目を迎えた辺りから、とうとう心身に変化が出始めました。


まず、「やる気が出ない・出せない」状態が訪れ、業務もだんだん以前のようにはこなせなくなり、自分が段々「崩れていってる」感覚に見舞われ、まったく頭も冴えない状態を迎えました。


月日を重ねて行く毎に、徐々に会社を遅刻しがちになり、挙げ句の果てには、休むことが多くなり・・・しかし、休んでも休んでも、手を抜いても手を抜いても、自分が崩壊していってる感覚はぬぐい去れず、誤魔化しながらの生活を1年続けました。そして、やがてその「誤魔化しながら」の生活すらままならなくなり、情緒は極端に不安定となり寝たきり状態となり、生活の全てが止まったような感覚を見舞われたことを今もハッキリと覚えています。


そんな状況を見かねて、私の妻と親しい友人からの「強制的な勧め」があり、心療内科の扉を叩くことになったのです。ちなみになぜ強制的だったかと言うと、私が病院へいくことをずっと拒んでいたからだったんです。自分の中で何となく「不吉な予感」しかしなかったもので、自分からその「不吉に近寄ろう」とは思えなかったのでした。何かを「認めたくない自分」がそこにハッキリと存在していたのです。だから、何かと理由をつけて「拒み続けた」という有様で、1年以上が過ぎていきました。


あの日、病院で私を待ち構えていたものは、大量の心理テストでした。それを全て回答したのち、私の診察の番が回ってきて、医師から開口一番に言われたことは「直ぐに休職しなさい!」でした。口頭での診察もなく、「うつ病ですね」と言われることよりも先に、最初に医師の口を突いたのが「直ぐに休職しなさい!」です。私は、正直心的には相当なダメージを喰らいました。「あぁ・・・何かがあるんだ」と、決定打を突きつけられたような心境だったからです。


そして、「あなたは今、うつ病です。まずは今までの生活環境を切り離すためにも休職が必要です。診断書は今日書きますから、すぐに会社を休職しなさい」と医師は言いました。そうです。ここでとうとう認識してしまったんです。「自分がうつ病だ」ということを・・・。


そこから「“うつ病”との付き合い」が始まりました


「うつ病」と診断が下りクスリを処方され、とうとう「うつ病と向き合う」生活の始まりです。「うつ病」と診断され、休職に入ってから私の生活は、どんどん変化をしていきました。

✓ 気分が憂鬱でしかたない

✓ 何もする気になれない

✓ 身の周りのことすらできない

✓ 風呂にも入れず、歯も磨くことができない

✓ 1日2時間しか眠れず、あとの22時間は起きっぱなし

✓ 起きていても何もすることができず、リビングでボーッとしてる

✓ 唯一できたことと言えば、パソコンでのネットサーフィンくらい

✓ 食欲が湧かず、コーヒーばかり飲んでいる


そんな状態が私の「うつ病生活の幕開け」でした。


親友の「病死」が私のうつ病に拍車をかけた


そんな毎日を送り続けること1年が経過した頃、私にとって重大な事件がありました。それは親友の病死です。私は来る日も来る日も泣きじゃくり、どこまでも落ち込み続け、どうにもならない状態へと化してしまいました。


そして私の中に初めて「死にたい・・・」という欲求が生まれたのです。そう、「希死念慮」です。これは暫く続きました。ドン底まで堕ちた感覚を味わったような気分で、どうにもコントロールできませんでした。


その上、休職から1年が過ぎて、会社から呼び出しがありました。結論から言うと「解雇通告」です。会社の既定で「1年以上の休職」はできないことになっており、「解雇」という現実を突きつけられ、会社を辞めざるとをえなくなりました。


約10年弱に渡って、会社に貢献してきた私が解雇になるなんて・・・と、とても悔しく、そして「ボロ雑巾になったらお払い箱か」という念にも駆られました。


この親友の死と解雇は、言うまでもなく病状を悪化させる大きな要因となりました。

うつ病生活2年を迎え、障害者年金を申請


うつ病生活も1年半を迎えた頃、傷病手当金の支給も終了し、失業保険給付も終わり、いよいよ金銭的に追い込まれました。そんな時、障害者年金の事を知り、申請したところ、障害者年金2級に認定され、ほんの少しだけ助かりました。


とはいうものの、入ってくるお金は傷病手当金をもらっていた頃よりも少額で生活が逼迫したのは言うまでもありません。もちろん生活レベルも下げ、質素にして生活していましたが、ただひとつ大きな問題がありました。


それは住宅ローンを抱えていたことです。これが金額的大きく生活が逼迫した原因でもあります。でも、「家を手放す」ことはどうしても考えられませんでした。これを手放したら全てが終わってしまうんじゃないかという「恐怖心」からです。


だから、家だけは何とか死守したいという一心で、生活を凌いでいました。でもその生活もそう長くは続きませんでした。

生活に金銭的な限界、「個人再生」を受ける


会社を解雇され、傷病手当金も終了して、収入が「ゼロ」、障害年金での生活となり、金銭的に苦しくなりました。生活費の負担で大きかったのは住宅ローンでした。前職の給与をベースにしてローンを組んでいたので、収入が無くなったことで、その金額を払うことが困難になってきたのです。


当時、持っているカードを使い倒し、生活を回していました。そうしているうちに「社会復帰」してまた稼げるようになるはずだから、「それまでの辛抱」だと、言い聞かせ、カードを使い倒しました。でも迎えた結果は、どのカードも限度額一杯になり、カードで生活が回せなくなるという最悪の結果に陥りました。


色々と今の自分の状況を考えると法的なことに頼るしかないというところまできました。そこから何件かの弁護士に相談をしたところ皆が口を揃えて「あ~、それじゃもう自己破産しかないですね」と一蹴。判子をついたように皆どの弁護士も口を揃えてそう言ったのです。


私は、頭がクラクラするほどのショックでした。バリバリ働いていた頃の収入を考えると「自己破産」とは無縁の世界だったものですから、それが現実に自分の世界にやってきたということが、「自分の病気を恨む」ことにも繋がり、余計に悪化をしました。


しかし数件の弁護士事務所と話をしたあと、ちょっと気になった司法書士事務所があったので、ダメもとで相談をしてみました。するとそこの司法書士の方は、私の「気持ち」を深く汲んでくれて、「家だけは手放さなくて済む方法」を試してみようと言ってくれたのです。その方法とは「個人再生」です。


そして私は、個人再生の申請を行い、裁判所から任命された国選弁護士との面接を数回行いました。その当時の私の収入は障害年金だけです。


普通であれば、個人再生は認められないという、かなり不利な状態だったのですが、強く「家だけは手放したくない」と訴え続けているうちに、国選弁護士の方が何故か味方をしてくれるようになったのです。理由は分かりません。でも味方をしてくれたんです。


だから私は司法書士の方に救われ、国選弁護士の方に活かされ、「個人再生」OKの判決が言い渡されました。それは私の一つの転機にもなりました。苦しかったカード地獄から解放され、圧縮した最低限の借金だけを返すというカタチに変わったからです。


当然、カードは全て破棄、向こう10年はカードを持つ事もできないことは分かっていましたが、そんなことはどうでも良いと思い、とにかく「家を守ることができた」ことが最高の喜びであり、ホッともしました。


個人再生では、借金の総額を1/3から1/4に減額して、返済を行うというものなのですが、圧縮した借金といえども返済は大変でした。元々の借金額が大きかったので。それでも「家が守れただけ、まだマシ」と思え、障害年金をやりくりしながら必死に返済をしました。

うつ病生活7年目にして、「転機」が訪れる


うつ病になってから、何種類ものクスリを試してきました。組み合わせもいろんなパターンを試してきました。でもなかなか自分にピタっと合うクスリには出会えないままに6年が過ぎ去り、うつ病の苦痛は続いていました。


そんな中、7年目の春に試したクスリの組み合わせが、今までにない感覚でピタっとはまった感じがしたのです。これはうつ病になってから初めての感覚でした。


そこから、さらに私の症状に合うようにクスリの量を微調整をしながら試したことが功を奏し、7年ぶりに「ちょっとラクかも知れない」と思えたのです。この6年間になかったこの感覚。とても嬉しかったのを覚えています。


そこからやっと・・・7年目にして病状が上向き傾向を見せ始めました。ちょっとずつですが、「動ける」ようになり、「考えられる」ようになり、何かが変わろうとしている感覚を実感することができたのです。実に7年が経過してはっきりと変化が掴めたのです。


でも「新たな勝負」がここから始まったとも言えます。やっとドン底からワンランクアップしたに過ぎませんから。でも、大きな一歩だったと今振り返っても思います。

調子に乗って無理をしてしまった8年目に再びダウン


クスリがピタっとはまった感じがして、物事が考えられるようになってから、私は、自分の今後の人生について考えました。そして、1つの結論が出ました。


「もう雇われサラリーマンとしては、働けない。自分のペースでできる仕事を見つけないと・・・」と。


そこで、思い付いたのが「起業」でした。過去のビジネススキルを活かして、できることはないか模索して、思い切って「決断」し、起業をしました。起業を決断してからの行動は、今思えばとてもパワーの要ったことだったようで、起業してまもなく、うつ病の症状が再び思わしくなくなり、仕事どころじゃ無くなってしまったのです。


そして、再び治療に専念をするハメになりました。調子が上がり始めたからと言って、当時の自分の物事に対する処理能力は低かったが故の「歪み」が、うつの症状を悪化させたのです。これには失敗しました。早く社会復帰したい気持ちが勝ってしまっていたせいで、自分の病気の状態を軽んじていたかが故の結果です。


私は、「起業」して間もない頃だったので、とても悔しい思いをしたことを覚えています。でもその悔しい思いとは、自分が招いたことだったということも同時に分かっていました。私がしたことは無理ではなく「無茶」だったのだと、後に痛感しました。ですから、起業してすぐに「休眠会社」状態となり、周りに迷惑をかけることにもなりました。これは大きな反省点でした。うかつでした。


自分の今の「身の丈」を勘違いしていたせいです。うつ病を抱えながらという事実を無視した罰だったのだと思いました。


せっかく起業はしたので、会社は休眠のままたたむことなく暫く置いておこうという判断をして、再び療養に専念することにしました。

学習意欲が湧いてきた9年目にしたこと


起業をした直後に体調が悪化して再び療養に専念すること1年、だいぶうつの状態も浮上してきた感覚を覚えた頃、無性に「勉強」がしたくなりました。恐らく今思えば、起業しているので、元気にさえなれば即動けるようにと考えているところがどこかにあったのでしょう。


私はまず、本を読みあさりました。ビジネス関連のものが殆どでしたが、中には自己啓発系のものも読んだりもしました。成功した人の本なども参考にしてみました。


そうこうしているうちにふっ・・・っと頭を過ぎったことがありました。それは「心理カウンセラー」の資格を取ることでした。これは私の病気自体にも良いのではないか・・・と考えたからです。


実際にカウンセラーの資格を取るための行動は、少々しんどかったですが、自分のなかで「目的がはっきり」してるものだったので、挑戦してみたのです。そして、何とか心理カウンセラーの資格を取得しました。


この心理カウンセラーの資格を取得したことは、後の自分を変えるきっかけにもなりました。

人の役に立ちたい。それが世の中への「恩返し」なのだ


自分病状が徐々に快方へと向かう中で、「これからの自分はどうあるべきか」をよく考えるようになりました。元々起業した最大の動機は「困っている人の企業の役に立ちたい」という思いから立ち上げたので、それを実現する仕事がしたいと思ったのです。


私は病気になってから数名の人に救われてきました。家族・親友・司法書士・国選弁護士・自立支援・障害年金・・・これには感謝の言葉しかありません。ドン底の土壇場でいつも救われて来たように思えます。


そこで辿り着いた考えは、やはり「人の役に立ちたい」という漠然とした思いです。人の役に立つというのは、さまざまなカタチがあると思います。そのさまざまなカタチの中で「何を選択しようか」と考えた末、結局は「自分が経験したことでないと、できない」と結論が出ました。


企業に勤めていた頃に身に付けたスキルと、心理カウンセラーの資格取得により身に付けたスキルを融合して何かを生みたいと思ったのです。


そこから「なにが生み出せるか」に視点を置いて、思考を張り巡らせました


「問題が解決されるとみな笑顔になる」、これはサラリーマンをしていた時代のでも共通して言えたことだということも思い出しました。それが、今の私の「活動の基本」になりました。

今の自分にだからできることを


私は「今の自分にだからできることを」に重きを置いて、自分の歩むべき道とやるべきことを決めました。一つは企業や社会を元気にさせること。もう一つは、自分が苦しんできたうつ病という病気について、何か貢献できることするということ。この二つを柱にしようと決めました。


きっと人が聞いたら「サービスメニューが全然関連性のない、おかしな会社だなぁ」と思われるかも知れません。それでもイイんです。やると決めたので。

今の私が生きる道


今では、うつ病に関する考え方の支援や、企業の業務・体質改善、その他たまたまなのですが、離婚に関する相談などを受けるようになりました。これも何かの縁なのでしょう。


この先、人を社会を「元気にする」に貢献できるような、「人」になりたいです。それに向けて益々精進せねばと決意して、毎日を過ごしています。


今ではうつ病からも解放され、元気な毎日を過ごしています。そんな感覚を皆さんにも感じて貰いたい一心で、何かが「提案」できればと思っています。

最後に


うつ病は、時間はかかりますが治る病気だと私は思っています。実に私がそれを体験したからです。
だから、少なくとも「諦めないで」ください。ユックリとあなたのペースで寛解を迎えましょう。無理は禁物、無茶は尚更ダメです。


あなたのペースで歩み、支援を頼り、使い倒し、自己形成を改めて一から考え直していってみてください。決して悪い方向へは向かないはずです。


昨今では、うつ病に対する認識も変わりつつあり、「社会的問題」として取り上げられる機会も増えました。そして、過去のような、「心の風邪」だとか「うつ病になる人が弱いから」だとか、言われるようなことも少なくなりつつあります。うつ病には「脳」が大きく関係していることも解明されています。


他の病気となんら変わりのない「病気」のひとつなんです。だからこそ、「治す」こともできるんだと私は確信しています。


私は、そんなうつ病に悩んでいる人を支援・応援します。
私が元気になれたのだから、うつ病から解放され元気になれる人はきっと大勢いると確信しています。


みなさんに「幸」あれ!


ナガヌマミチヤ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする